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移動手段について、前報では人類の苦労や日本人の創意工夫などを述べた。
時代小説を読むと、江戸時代は、交通網が非常に発達していて驚異的である。そこには隠された面白い話が存在する。以降3報は江戸時代の乗り物について述べる。
第44回 駕籠の秘話
1)参勤交代での駕籠の中は大変だった
①駕籠の乗り心地
狭い駕籠内には薄い布団しか敷いてなかったので、腰だけでなく足も痛かったようで、おまけに正座していましたので、大名の苦労も並大抵のものではなかったと思われている
経費節減(宿泊費など)のため、かなりのハイペース(一日平均約35㎞、時には一日50㎞以上)で道中を急いだといい、これは殆どの藩が毎年行ったことから、高齢の大名や病弱の大名にとってはまさに命懸けのことだったようである。
②何をしていたか
大名が宿泊するとき、大名の寝所には警護役の不寝番の小姓が二人控え、夜もずっと起きている様子を周りに見せる必要があり(寝込んでしまうと、夜襲を受けると大名を護ることができないため)、大名の寝所は一晩中明りが点いている状態で、大名の枕元近くでは小姓が本を朗読(太平記など)していたことから、寝ている大名は明るい上に傍で本を読まれていては「眠りたくとも眠れない」状態だったので、昼間に駕籠の中で眠っていたとされる。
2)駕籠の種類はどんなものがあるか
利用する人の身分によって厳格に定められており、また目的や利用方法によっても呼び方が変わっ
① 駕籠とは
人が座る部分を一本の棒に吊し、複数人で棒を前後から担いで運ぶ
*駕籠舁(かごかき):駕籠を担ぐことを業とする者
*駕籠者(かごのもの):担ぐ人のこと
*陸尺/六尺(ろくしゃく):高級な駕籠である乗物を担ぐ者のことで、長身の身体(六尺:182cm)が必要だったとされており、ここから陸尺と呼ばれるようになったとの説もある。
②駕籠の料金
駕籠者や陸尺の身長や、目的地までの移動距離、スピード、乗る人の体重などによって決められていた。天保年間(1830~43年)の駕籠賃は、日本橋から吉原大門まで2朱(1両の8分の1)だったという記録がある。
1両8万円で換算すると1万円。とても、庶民が気軽に利用できる料金ではなかった。駕籠かきの取り分は2割か3割程度。一人当たりでは1割から1割5分。日本橋から吉原大門まで客を乗せても、駕籠かきの取り分は1000~1500円くらいのものだった。
③乗物という駕籠:引き戸付きで装飾が施されている高級な駕籠で身分の高い者が使用し、より居住性や装飾性が高く、側面に戸が取り付けられている物とされている
主に公家や武家および特例として医師も認められていた。
いろいろな種類、呼び名がある(割愛)。
④女乗り物
*上述の乗り物のうち、女性用は「女乗物」または「奥方乗物」と呼ばれ、主に将軍や大名夫人などが使用し、実用性を重視した男性用の乗物とは異なり、「蒔絵」などが施された特に豪華な物となっている。身分によっていろいろなものがあった(割愛)。
*女乗物は小ぶりで、外部は蒔絵や金工など時代の粋を集めて作られた豪華な装飾が施され、内部は源氏物語をモチーフとした装飾画や、めでたい花鳥画や松竹梅が描かれるなど、贅を尽くした仕様となっていた。
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