お歯黒に幻滅した外国人、しかし意味があった

人生100年時代
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お歯黒は気持ち悪いですが後述のように意味があったのです。幕末、明治初期に日本を訪れた外国人も日本女性は綺麗だが、お歯黒には幻滅したようです。なお、お歯黒の習慣は、実は日本だけではありません。

一方、お歯黒には虫歯予防に効果があり、さる調査では93歳の女性が長い習慣でお歯黒を続けており、虫歯が全くないということが報告されており驚かされる。

以下紹介します。

第31回  日本人の歯-2  お歯黒

1)日本人のお歯黒に幻滅した外国人

女性は婚約後お歯黒で歯を黒く染めた。幕末から明治初期に来日した外国人は、お歯黒を塗った既婚女性をみて女性差別と明治政府を批判したのである。

例えばペリーは、未来の花婿も花嫁の黒い歯を見て嫌になるのではと、日本人男性へ同情して次のようなことを言っています。

微笑してルビーのような唇が開いていたので、ひどく腐食された歯茎に生えている一列の黒い歯が見えた。日本の既婚婦人だけが、歯を染める特権をもっており、染めるにはお歯黒という鉄の粉と酒とを含んだ汚い成分の混合物を用いる。

この混合物は、衛生的でなく、非常な腐食性のもので、それを歯につけるときには、歯茎や唇などの柔らかい組織を何かで覆う必要がある。ちょっとでも肉にふれると直ぐにただれて、紫色の斑点が出来てしまう。

いくら注意しても、歯茎は腐って赤い色と活力を失う。この習慣は、夫婦間の幸福を導くことがほとんど無いと考えるべきであろう。

ペリーだけではありません。スエーデン医師CPチュンベリー、政府肝いりの海軍の医者彦太郎こと、ジョセフ・ヒコらも同様なことを言っています。

2)お歯黒の歴史

お歯黒の起こりは、日本古来よりあったという説(日本古来説)、南方民族が持って来たという説(南方由来説)、インドから大陸、朝鮮を経て日本に伝わったという説(大陸渡来説)があるが、いずれも定説がない。

起源はわかっていないが、初期には草木や果実で染める習慣があり、のちに鉄を使う方法が鉄器文化とともに大陸から伝わったようである。

わが国における古文書に記載がある

*わが国最古の辞書、「和名類聚鈔」:938年(承平7年)源順著の巻六に

「黒歯国 東海中にあり。草を以て歯を染むる故に曰く婦人黒歯具有り」の記載がある。少なくとも千年前にはすでに化粧の道具の一つとしてお歯黒道具のあったことが推察されている。

*魏志倭人伝(280年頃)に黒歯国という記述がある。

①弥生時代(前10世紀~後3世紀後半)

弥生人は縄文人以上にむし歯に苦しめられていました。「お歯黒」の習慣が始まりました。

古墳(3世紀中頃から7世紀頃)に埋葬されていた人骨や埴輪にはお歯黒の跡が見られる。

ことから弥生時代から古墳時代に定着したと考えられている。

②鎌倉時代(1185年~1333年)

*朝廷や幕府の中では、口歯咽喉科が歯科治療を行っていました。

*僧医は庶民の間で医療や慈善事業を行いました。

*歯の清掃道具として歯木(楊枝)が登場しました。

*この時代の歯科治療は抜歯が重要でした。

*女子の風習だったお歯黒が男子にも見られるようになりました。男子のお歯黒はすたれて行きましたが女子のお歯黒は後世まで続きました。

③奈良時代(710年~794年)

*鑑真が天平勝宝5年(753年)に持参したお歯黒の製造法が東大寺正倉院に現存する。

その製造法は当初は仏教寺院の管理下にあった。

④平安時代(794年~1185年)

*お歯黒に関する言及は『源氏物語』、『堤中納言物語』にもある。

*平安時代末期には、元服・裳着を迎えるにあたって女性のみならず男性貴族、平氏などの武士、大規模寺院における稚児も行った。

*貴族は袴着(幼児が初めて袴をつける儀式で古くは3歳、後世では5歳または7歳)を済ませた少年少女も化粧やお歯黒、引眉:眉を剃る を行うようになり、皇室では幕末まで続いた。

⑤室町時代(1338年~1493年)、戦国時代(1493年~1573年)

*一般の大人や戦国武将にも浸透した。

*戦国時代には結婚に備えて8〜10歳前後の戦国武将の息女に行った。

⑥江戸時代(1603年~1867年)

江戸っ子は歯の白さが意気とされた。

*皇族・貴族以外の男性の間ではほとんど廃絶。

*悪臭や手間、そして老けた感じになることが若い女性から敬遠された。

*既婚女性、18〜20歳以上の未婚女性、遊女、芸妓などに限られた。

なお、既婚女性はお歯黒を塗るときは液を温めると臭いため、朝、夫が起きる前に塗ったといわれている。

*農家においては祭り、結婚式、葬式、等特別な場合のみお歯黒を付けた。

⑦明治時代(1868年~1912年)

1870年(明治3年)、政府から皇族・貴族に対してお歯黒禁止令が出され、それに伴い民間でも徐々に廃れ、大正時代にはほぼ完全に消えた。

⑧現在

下記のような祭儀的なものにお歯黒の習慣が残っている。

<祭り>斎王代(葵祭)、曳山歌舞伎(長浜曳山祭)、曳山歌舞伎(米原祭)

<花柳界>太夫、芸妓、舞妓

<演劇>歌舞伎

3)お歯黒の成分と意義

<成分>主成分は鉄漿水(かねみず)と呼ばれる酢酸に鉄を溶かした茶褐色・悪臭の溶液です。これを楊枝で歯に塗った後、五倍子粉(ふしこ)と呼ばれる、タンニンを多く含む粉をを上塗りする。それらの作業を交互に繰り返し、鉄漿水の酢酸第一鉄がタンニン酸と結合し、非水溶性になると共に黒変する。

<意義>

歯科衛生が十分に進歩していなかった時代にあって、歯並びや変色を隠すことができたほか、その染料が口腔内の悪臭・虫歯・歯周病に予防効果を持っていた。

*虫歯予防の効果(千年以上の永きにわたり貢献)

1. 虫歯になりにくい
2. すでに虫歯の歯にお歯黒をすると、虫歯の進行を抑制する
3. 知覚を鈍化させる

塚や墓から掘り起こされたお歯黒の歯にはむし歯がほとんどないと言われており、まだお歯黒の風習が残っていた大正時代の農村部では「お歯黒の女性に歯医者はいらない」とまで言われていたようである。

岩手医科大学歯学調査では93歳の女性の例が紹介されている。

1987年時点で三日に一度染めて、お歯黒を続けているが残存する歯が26本で虫歯がなく口腔内は良好で食べ物もしっかりと噛めるとのことである。

4)他国のお歯黒

東南アジア(現在):ベトナム北部、タイのアカ族の女性、中国雲南省、ラオス

ヨーロッパ:主に富(飽食)を意味する表象として、歯を黒く塗る習慣が一時的に発生したが、いずれも廃れた。イタリア(16世紀)、ロシア(17世紀~19世紀)等に見られた。

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