古代ローマもすごいが日本人は風呂好き 

人生100年時代
Sunrise at the lake Kawaguchi-ko,Fuji Mountain Background

日本人は、昔から清潔好きで、お風呂は欠かせないものでした。

いつから、お風呂の習慣が始まったのでしょうか。

実は、世界でも風呂好きの国があったのです。

第23回は、日本人の風呂好き-1 風呂の歴史 について述べていきます。

お風呂は、古代からいろいろありましたが、何といっても特筆すべきは古代ローマの大浴場です。

現代の日本人と同じく、お風呂好きだったのですね。しかし、古代ローマと日本の風呂に入る意味が似て非なるものであります。社交場であり、清潔になるという意味では同じですが、日本人は、仕事の疲れをいやすために入浴するのに対して、古代ローマでは、かなりの時間を過ごし遊んだところなのですね。日本人は国民全体のためにお風呂文化をつくりました。

1)世界のお風呂 

お風呂の歴史について以下に簡単に記す

①メソポタミア:紀元前5世紀、世界最古の文明であるメソポタミアには、シュメール人のお風呂、紀元前4世紀頃、紀元前2世紀後半給水の為と思われる大きな壺が見つかっています。宗教上の沐浴から個人用の沐浴室が現れ、そして、浴槽が用いられるようなったと思われる。

②古代ギリシャ:紀元前5~4世紀頃、2種類のお風呂が存在し、一つは「パラネイオン」(バスタブの中に座り頭から温湯をかけてもらう)と呼ばれるもので、上流階級の人々が用いる個人用のものと、女性が利用する公共的なものが存在した。もう一つは、「ギムナウシム」と呼ばれるものであり、水浴する為の部屋が設けてありました。これが、シャワーの起源になった。

③古代ローマ:紀元前1世紀~紀元後5世紀

ギリシャの影響を受け発達します。多くの都市に少なくとも1つの公衆浴場が存在した。そこは社会生活の中心の1つになっていた。古代ローマ人にとって入浴は非常に重要だった。彼らは1日の日中のうち数時間をそこで過ごし、時には一日中いることもあった。裕福なローマ人が1人か複数人の奴隷を伴ってやってきた。古代ローマの浴場は2種類があります。「バルネア」:風呂一般を示し、ギリシャ「パラネイオン」を引き継いだもの。「テルマエ」:市や州が所有者で、記念碑的な巨大な建造物で一般の市民に開放された浴場。
「テルマエ」について有名なのは、

<アグリッパの大浴場>長さ120m程度、幅100m程度の巨大なもので、紀元前26年頃建てられ5世紀まで利用されていた。
<ネロの大浴場>紀元64年に落成式が行われたもの。窓も大きくなりガラスも用いられるようになる。
<トラヤヌスの大浴場>2世紀
<カラカラの大浴場>3世紀、12万平方メートル、一度に1600人が入浴できたといわれている。
<ディオクレティヌアスの大浴場>4世紀、12万平方メートルの敷地、風呂の建物はカラカラ浴場より巨大なもの。
これらの浴場は、一大文化センターであり、風呂に入るだけでなく、ボクシング・ボールゲーム・レスリング等のスポーツもでき飲食店で食事ができるようになっており、政治的な討論も行われるようになりました。古代ローマの大水道は有名ですが、この水道は主として浴場の水確保のために作られたものです。

ローマ帝国の初期から中期にかけては男女混浴でした。 中期以降は時間帯で区切って男女別にしていたそうです(1世紀から2世紀頃)。 キリスト教が国教となった頃には完全に男女別になっていたと思われます。

④ローマ帝国の崩壊後、ヨーロッパ
古代ローマの入浴は、官営病院を持たなかったローマ人の感染予防施設としても使われた。

その後、初期キリスト教の禁欲主義の厳格な信者からはローマ式の入浴スタイルは退廃的で贅沢であるとされ、敬遠されるようになった。不潔さこそ聖人の要件であり、自己犠牲、敬虔な振る舞いであると信じられた。入浴するにしても服を脱ぐ事は論外であり、異教徒と同じ浴槽に入ることも考えられないことであった。さらに伝染病の発症源と目され、公衆浴場の閉鎖令が出されるようになり、中世末にはヨーロッパから風呂は消え去ります。しかし、王族立ちは、豪華な風呂を持っていた。ナポレオンは、エリゼ宮では日本人が好む熱湯風呂に浸かっていたと伝えられている。

⑤産業革命後のヨーロッパ

産業革命により、都市化が進むと都市は不潔の象徴となり病気にかかる人が多く、衛生という概念から清潔にしなければという発想のもと病気治療法の一つとして中世以来続いていた風呂が復活した。

2)日本のお風呂

①禊(みそぎ)の慣習

もともと川や滝で行われた沐浴の一種と思われる禊の慣習が古くより行われていたと考えられている。入浴するというスタイルは538年頃の仏教渡来とともにやって来たと言われている。建立された寺院には湯堂、浴堂とよばれる沐浴のための施設が作られた。仏教では入浴は、『七病を除き 七福を得る』『汚れを落とすことは仏に仕える者の大切な仕事』と言われ『業』のひとつとして体を洗い清める為に作られた。

②法華堂の浴堂

光明皇后が730年頃、貧困層への入浴治療を目的として法華寺の浴堂の建設を指示した。当時は、薬草などを入れた湯を沸かしその蒸気を浴堂内に取り込んだ蒸し風呂形式であった。

③寺院浴堂

平安時代になると、上級の公家の屋敷内に蒸し風呂形式の浴堂の施設を取り込むようになった。次第に宗教的意味から衛生面や寛ぎが強くなったと考えられている。

④お湯の銭湯

江戸時代初期から末期まで蒸し風呂が主流だったが、徐々に浴槽にお湯を張り、そこに体を浸かるというスタイルが一般的になった。多数の他人と全裸で入浴をする日本式の入浴文化が発達した。この場合、マナーとして浴槽に入る前に身体を洗う、汚れを流し落とし浴槽の衛生管理に気を使うことが日常となった。

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    コメント

    1. 山本道明 より:

      素晴らしい。何で調べたのか興味があります

    2. いろいろなネット情報を取得し、総合的に組み合わせて記事としました。たくさんの研究者がおられます

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