古代男女は気ままに結婚し、ついで男が女に通う時代もあった

人生100年時代

第20回では、日本人の恋愛に関して、特に女性の地位について述べました。
 
第21回では、 日本人の恋愛に関して面白い風習があるので、その2として結婚のしきたりについて
述べていきます。


第21回 日本人の恋愛-2  独特な結婚のしきたり

日本の結婚形態は、原始時代の男女が気ままに結婚した形態から、男性が女性宅に通う(ただし別居)形態、ついでお嫁さんをもらうよう形態にだんだんと変化していきます。この間に男女の関係はどのように変化したのでしょうか
1)古代(原始時代)
古代と称する旧石器時代(~紀元前14000年頃)、縄文時代(前14000~前10世紀)、弥生時代(前10世紀~後3世紀中頃)の男女間の交際はどうなっていたのだろうか?このような時代にあっては性に対しては割合に開放的で、男女間の交際は大変におおらかであったと考えられている。
①旧石器時代
狩猟採集生活を行って集団で生活していた時代は、男女が気ままに結婚し(乱婚)、共同体の中で性を享受したと考えられている。このような結婚は、共同体の生産基盤を安定化させ、生まれた子は母親の元で育つため、母親をよりどころにした母系社会の始まりとなっている。
②縄文時代
結婚相手は生まれた時点であらかじめ決められており、家族の形態としては、祖父や祖母などと同居した拡大家族と考えられている。
③弥生時代
この時期の中国にはすでに婚姻文化が存在したので、弥生社会でも広まっていたと考えられている。
 
2)古墳時代(3世紀中頃~7世紀中頃) 
この時代には、いわゆる「妻問婚」になった。
①すなわち男性側が女性側に通う形態である。古事記や日本書紀、万葉集などの書物に『ツマドイ』という言葉がみられる。
②妻問婚は、自由恋愛による結婚であり、ただし、夫婦は別居の形であった。
③男性が女性の家の窓から求婚歌を渡し、女性が歌を返答するなどの方法で行われていた。
④この風習では、男性との縁ができた女性は、通ってくる男性のために、寝床の敷袴、枕、夜衣、夜食など必要なものの一切を用意し、女性の親も娘のために籠もれる部屋や別棟の妻屋を用意する。
⑤女性側の準備が整えば、男性の元に使いが出され、男性はその使いを受けて、女性のもとを訪れる日を告げ、当日にも男性が先駆けの使者を走らせている
 
3)飛鳥(592年~710年)・奈良時代(710年~794年)
男性側が女性側に通う形態の「妻問婚」は、奈良時代も継続していて、万葉集や竹取翁などの書物にも記述が確認できる。
奈良時代にあった「妻問婚」は、男性が女性に求婚するという点だけは、現代と大差がないように感じられる。
<儀式の習慣>
唐の習慣の儀式が取り入れられるようになった
①   結婚式は戸令(民法)によって、男子15歳、女子13歳で許される
②   皇族と臣下との通婚を禁じること
③   父母及び夫の喪のある間は、嫁取りを禁ずること
④   掠奪あるいは売買による婚姻を禁じること
⑤   婚礼には媒酌人というものが定められた。男子側から進物を女子へ結納という形で送った
⑥   婚礼の日取りは吉凶を占って決めていた。
⑦   貴族の間では一夫多妻の習慣があった。唐の律令では、重婚を禁じていたが、日本では第2夫人以下を許していた
⑧   奈良時代の若い男女の結婚相手の探し方は、男女が集まり、即興でつくった歌を掛け合いながら求愛する「歌垣」と呼ばれる風習が利用されている。「歌垣」には、結婚相手を探す若い男女だけではなく、歌を指南する世話役(現代の仲人)のような人も介在し求婚者の手助けをしたと考えられている
 
3)平安時代(794年~1185年)
形態が変わり婿が男性が女性の家にはいる婿取婚になり、夫婦の居住は、同居(妻宅)への移行をはじめた。
①   婿取りの儀式は、貴族の間でも儀式化、多様化し、諸行事が営まれるようになった
②   貴族の子女は幼小のころに婚約することが行われていた
③   婿は宮廷衣服を身に付けて車か馬に乗り職員などをつれて、新婦の家へ行く
④   到着すると婿は母屋のとばりの中に入って新婦と会い共寝をする。後日、結婚披露宴を行い、婿と舅の対面式を行う
4)鎌倉時代(1185年~1333年)
武士の台頭により婿取婚の形が嫁取婚に徐々に変化する
①   婿取婚をとりながら相当期間の後に夫方に居住する
②   次第に母系型家族の形が崩れ、父権が絶対的なものとなる
③   必然的な形として嫁を向かい入れる嫁取婚が現れる
武士は結婚したからといって自分の土地を離れる訳にはいかないので、自然と女が男の家に入るようになったのである。
④   武家などでは当たり前のように政略結婚が行なわれていた
⑤ 婚礼における礼法も整えられ、色直し、引出物、里帰りなど、現代のしきたりも生まれた
一夫多妻の慣習は中世でも行なわれ鎌倉時代には三妻まで持つことが許されていた
⑥ 婚姻年齢については規定がなかったが、上流の間では、早婚が行なわれていた

4)室町時代(1336年~1573年)、江戸時代(1603年~1868年)
お嫁さんをもらう嫁取婚となった。
①   武家同士の同盟に利用される政略結婚が多くとり行われた
②   江戸幕府の統治下では、女性が男性よりも低い地位に置かれている
③   江戸時代には、仲人、見合いなども出現した
④   江戸時代に入ると、裕福な町人階級が武家の結婚風俗を手本に、華やかな婚礼が行われた
 
5)明治時代(1868年~1912年)
宗教による結婚式が増えた
①   宗教の自由が憲法で保証されたことで、結婚のスタイルは多様化する
②   都市部では、意外に簡略に行える神前結婚がにわかに流行し、神社での結婚式が増えた
③   地方においては昔ながらの自宅結婚式が行われていた
④   婿入り婚(婿取婚が当初は続き、男性の家に嫁が入るのは、男性の母親が家事の一切を譲る時であった。
⑤    民法では婚姻年令を男子17歳、女子15歳以上と定めたが、一般の結婚年令はおよそ男子が22才、女子が20才であった
妻の氏名については、昔からの慣習に従って、婚姻後実家の氏を称すものとされた。しかし夫の家を相続したときには、夫の姓に変えるようになった。

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