東京文化、東大エリート意識に悩んだ大学院時代

人生100年時代

第5回 自己紹介5

自己紹介があと何回か続きます。その後本番のテーマに移ります

自己紹介
時代人生感が変わった出来事
No.2 幼少~中学 俄然勉強に火をつけた何か?
No.3 高校学校をくそと思って自分で猛勉強
No.4 京大自由を謳歌
No.5 東大大学院東大エリート意識
No.6 会社ブラックな時代
No.7 教員-1姑息な学長
No.8 教員-2人間・若人の無限の能力
No.9 教員-3教員・研究者の狭量

自己紹介-5 (東大大学院進学、東大エリート意識)

私は昭和48年(1973年)に東京大学工学系研究科に進学した。

1研究室で電顕を複数保持し自由に使える東大宇宙航空研究所に行きたいと思い、運よくそこの研究室に配属になった。修士2年間と博士1年間の計3年間大学院に在籍していた。

しかし、これが大変な苦労の始まりだった。

その原因は何か最初に結論を述べると

①関西文化と東京文化の違いによる生活上の戸惑い

②東大人のプライドの高さ

③東京での一人住まいのさびしさ

①②③相互に関連している。今はましになっているが約50年前なのでひどかった。

①については、言葉がわからないとよく言われた。最近ではよくこの話題がネットでも出ているが、例えば装置が「つぶれました」というと東京では「ぺちゃんこ」になるということで関西の「壊れる・作動しなくなる」と意味が異なる。このようなことでいちいちからかわれるわけである。

また、関西人はボケでコミュニケーションを取ろうとするが、これは突っ込まれて嫌な思いを何度もした。例えば、このネクタイ安かった(得をした)というと、こんな安物をするのかとからかわれる。

②「東大以外は大学でない」との意識を東大生は持っているとはよく言われたが、私が京大から来たことで差別意識があった。君は何を偉そうにしているのかと先生に言われたが、京大生のくせにもっとぺこぺこしろという意味である。そうか!東大入試がない時に京大に入ったのでかと言われた。言ってる意味が最初分からず、偉そうになどまったくしていなかったので大変悔しかった。外国での白人の黄色人種への差別に似ている。

③以上のようなプレッシャーの環境下で、東京で暮らし始めて、いきなり修羅場に入ったごとくだったのと、自分の独立心のなさとで大変さびしい思いをした。

その結果、研究に実が入らず、親しい友人と東京の街を徘徊することになった。

これは、今でも青春のいい思い出であるとともにもっと研究を真剣にやればよかったと反省している。

ここで、両大学に在籍した者として東大と京大の違いについて論評したい。

船井幸雄氏の著書によると以下の様である。これは当たっている。敢えて断じると

京大では、もちろん授業があったが、単位取得や卒業認定に厳しさがなく、「自由」を謳歌したと言っても過言ではない。勉強したい者がすればいいのであって、自分の考えの下、学生生活を送るという環境にある。一方、学部は行ってないのでわからないが、東大では、その逆のような気がする。また、先生間の主導権争いやごたごたが、我々院生によく聞こえてきた。

by船井幸雄氏

次に関西文化と東京文化についてもう少し論評したい

なお、以下に記す東京人は、周辺の県から移住してきて東京人(似非東京人)となった人が70%近くいて純粋な東京人(下町生まれ)は30%くらいで大阪人と同じであるということも聞いたことがある。

関西人に対して東京人は

①恰好を付ける。 ええかっこしい!

②言葉が感情を表すのに適してない。言い方がきつい。 英語に似ている

③店や電車にきちんと並んだり、紳士的である。今は差がないと思う

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