自己紹介はこれが最後です。次回から各テーマについてお話しします。
自己紹介-9 (教員生活のいやな経験)
について述べていきます。
大学では、約10年間教授として在籍したが、教育に加え研究室と研究費が与えられ、総じて言うと非常に充実した教員生活を送ることができた。
前報では、学生の素晴らしさについて述べた。
今報では、教員について述べる。自分の属した大学のみでのことなので、一般論かどうかわからないが、独断と偏見であるがご容赦いただきたい
<大学教員>
教員のタイプは、3種類である。研究一本、研究と教育のバランス、教育一本
このランクの私立大学は、どちらかというと研究より教育に重点を置く。
私自分は、勉強は自分でするものと思っており、教員はガイド役、チューター役であり、小学生のような手取り足取りの教育は不要と考えていたので、学生のアンケート調査では概して各科目とも低得点であった。ただ実習の時の少人数授業では、冗談ばかり言っていたので面白い人だと思われ、人気があった。学生は、上からの勉強・知識の詰め込みに飽きているので面白いのがいいのである。なお、研究をしない(できない)教員は、教育に異常に熱を入れる傾向にある。これはこれでいいのである。
<研究生活>研究室を担当しているが、実質的な「研究」を行っている人・研究室は半数以下であった。つまり、論文の投稿をしない、しても名前を連ねているだけで寄与は少ないという意味である。研究発表だけでもしているのは活動しているという意味でまだましである。
研究者でない人でも教員の中でステータス:学部担当のみ、修士担当資格、博士担当(学位を授与できる)資格のなかでちゃっかり博士担当になるようなずるがしこい人もいる。
自分は研究こそが教育の原点であると思っていたので、研究室では、学生には朝から遅刻厳禁で出席を求め、夕方には終了(サラアリーマン的)とした。学生生活は、アルバイト、クラブ、私生活に花を咲かせるなど、生活のバランスが大事と考えていた。以下に企業人と大学人の文化の違いをまとめた。大学は文科省の言いなりであればやっていけるのである。
会社 大学
<研究生活の嫌な面>自分の研究はいろいろと花を開いたが、教員生活は、楽しいことばかりでない面について触れておきたい。
主力の研究テーマは、短大の時にグループに入れてもらって行っていた研究であったが、5年位研究していて、海外発表や論文作成は多数できたが、この研究の将来性に疑問を持ち、グループから離れ、自分で考案した新プロセスの研究を開始した。
そこで、生じた現象の2つについて簡潔に述べると
①グループの何人かに以後相当な嫌がらせをされた。研究ではこれまでのことを批判し、自分の研究の意味付けをする必要がある。研究の批判=自分の批判と解釈し、攻撃してきたわけである。ただ、グループ内の真の「研究者」の人は目立った攻撃はしてこなかった。
②大学内で、博士課程3年間の修了者(学位授与)を出す必要があり、初めての修了者の輩出を自分が担当した。知己の会社に連絡し会社員の社会人学生を得た。この経過について詳細を省略するが、この学生は、学位を取得するため研究をするという心構えに著しく欠けており、私の責任:(大学学位授与使命)と学位の権威の板挟みで相当悩んだ。
腹をくくって、このテーマでは、やる気がないのでテーマを変更し、無理矢理でも業績(論文投稿)作成のうえ学位授与に持ち込むため知り合いの先生にも助けていただいて何とか工学博士を誕生させた。
学位というのは出発点なので、自分で反省して以後社会に貢献してもらいたいと願うばかりである。
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