新入社員当時の今ではありえないブラックな時代

人生100年時代

今しばらく、自己紹介が続きます

今回は、大学卒業後の会社生活の新入社員時代のブラックさを中心に紹介します

自己紹介
時代人生感が変わった出来事
No.2 幼少~中学俄然勉強に火をつけた何か?
No.3 高校学校をくそと思って自分で猛勉強
No.4 京大自由を謳歌
No.5 東大大学院東大エリート意識
No.6 会社ブラックな時代
No.7 教員-1姑息な学長
No.8 教員-2人間・若人の無限の能力
No.9 教員-3教員・研究者の狭量

第6回

自己紹介-6 (会社生活の苦労・ブラック時代)

私は昭和51年(1976年)に東京大学工学研究科博士課程を中退し会社に就職した。

東大では、関西文化と東京文化の違いや東大エリート意識の偏見などから大変な苦労をし、中途半端な学生生活を送ったことは反省材料である。しかし青春を大いに謳歌し自分の人生の財産になっている。

会社では、そういった甘いものではなく全く違っていた。

<会社勤務地>

鉄鋼メーカーで、入社当時、工場勤めで千葉県君津市にあった。当時は、子供を育てるにはいいところだったように思うが、東京とは全く異なり何もなく土を積んだダンプカーが2台に1台は走っていたようなところであった。昔だったから、何とか会社生活に耐えられたのだと思うが(今どういう制度になっているのか知らない)、新入社員時代は、本当に面白くなくひどいものだった。

<新入社員研修>

学卒は、幹部候補生として1年間の現場研修が課せられた。現場は、24時間稼働の7-15時、15-23時、23-7時の3交代勤務制を敷いており、研修もその通り回っていく。住まいも、寮生活を強いられ、6畳に2人住まいであった。したがって、寝る時間はお互い異なっているため、非常に気を使いながら過ごした。自分の相手は、東京出身の東大修士出でプライドが高くここでも苦労した。

夜勤は、慣れていないため夜中に眠くなりこのまま落ちて事故で死ぬ可能性もあるなと何度か思った。現場では、学卒はお客さん扱いで現場の実際の作業は危ないということでほとんどさせてもらえない。現場のトラブルが発生した時も、現場でみると勉強になるが、これも作業場に出てこないで事務所にいてほしいと言われた。

現場研修で唯一よかったのは、現場員の人と酒を酌み交わしたりして親しくなったことであった。後々、現場試験を実施するとき、この時の付き合いがものをいい、好意的に行ってくれたのだった。現場試験は、プロパー生産の時に、生産を乱さないよう同時に行うが、現場員にしてみたら余計な仕事をさせられることになる。彼らは、気持ちで仕事をしてくれる。

現場員は、高卒以下で人事制度上あるところまでしか昇進しないが、大変優秀かつ真面目で、学卒の我々がなよなよしているのと対照的だった。現場の印象を一言でいうと失敗は許されず、毎日戦争のような張りつめた雰囲気があり、我々は、ぐったり疲れるが、現場員の人は、百戦練磨で淡々とこなしていける度胸と技術を有している。

<正式配属>

現場研修が何とか終了し、正式にスタッフとして現場近接の事務所に配属になった。感じたことは、上司なる者が、大変威張っており、一見やくざのような感じで鉛筆を持って仕事しない、コピーは自分でしない、であった。勉強もしない人がほとんどで、大学の知識などはほとんど関係なかった。

ただし、席が隣の先輩が、勉強はし続けないといけないと自分に言ってくれこれが会社にいる間中思い出された。この人は、最後相当偉くなった。

<すばらしい上司、嫌な上司>

現場配属3年後、自分は現場向きでないと判断され、研究所に転籍になった。ここから研究者の会社生活が始まる。総じていえば研究者生活は楽しかった。他所から転勤してきた先輩の上司が勉強家であり、学者タイプであったので毎日議論に花が咲いた。

ただ、直属の別の上司が人間的に偏った人で、毎日自分と喧嘩する日々が何年か続いた。その人はいろんな人と言い争いをしているので、自分の方が悪くないと思われたが、本当に会社を辞めたいと思って過ごしていた。その人のもう一人の部下は実際やめてしまった。

そうこうするうち、自分は結婚することになり、家内に愚痴をきいてもらったりしているうちになんとなく続いた。

なお、研究者としては恵まれていたように思う。いろんな開発テーマを担当したので、特許、論文を多数提出できた。会社としては論文より特許を推奨していたが、研究者として社内の技術報告では、個人的に後に残らないので論文を書くように上述の先輩の上司に指導された。この上司には感謝している。学位も当時は珍しかったが、勇気を出して自ら研究部門のトップの人に直訴し大学の先生を紹介していただき約1年で取得することができた。

今では、上司が学位をとるよう指導しているようで過保護になっているようだが、当時はそんな風潮はなく自分が突破口になったと自負している。

学位を取得していることで、大学への転身が可能になった。なお、学位取得に関して思い出したが、東大卒ということですごく威張り散らしている嫌な人間がいて邪魔をされたことを思いだす。

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