ベルサイユ宮殿、中世ヨーロッパは糞尿地獄だった。一方日本は清潔な世界を確立していた

人生100年時代

何百年も続いた中世ヨーロッパの糞尿地獄!
日本は、糞尿を肥料として循環するエコシステムであるを構築し清潔な世界を実現!
 
世界では、糞尿は、基本的には川への垂れ流しであり、肥料として使われることもあったが上手くいかなかった。
中世ヨーロッパでは市中の道端にし尿があふれ、川は汚臭が激しく、極めて不衛生であり、感染症などの病気が頻発した。汚水処理が、確立したのは近世になってからである。
日本は、糞尿を肥料として循環する、エコシステムを構築し、世界でも稀な清潔な世界を出現させた(鎌倉時代から始め江戸時代に完成)。
 
以下参考にさせていただきました。
永井義男 江戸の糞尿学 2016 
岩堀 恵祐 古今東西糞尿譚 技術開発ニュース No.139  2010 
川 添 登 都 市 の ご み 問 題 の 歴 史  廃 棄 物 学 会 誌, Vol.4,No.3,pp.220-230,1993
 
第35回   すぐれた日本の上下水処理-1   し尿処理
1)世界のし尿処理とトイレ事情
(1)古代ローマ
基本的には川へ流れ着く方法であり、肥料としても回収されたが、衛生上問題を起こしたようである
①公衆トイレ
都市に住む人々が共用で使用できる主に大便用の公衆トイレがあった。
*紀元後4世紀、首都ローマに144ものトイレがあったという。
*都市部の下水が流れている水洗式だった。
*トイレ管理人が常駐し、お金を徴収していた。
*排水がよく出る公衆浴場の内部や近くに設置されていた。
②家庭トイレ
*下水につながっていない家の住人は、携帯用の壺に尿や便を集めていた。
*下水につながっている家には人一人隠せる壁の窪みにトイレが設置されていた。
*上部に丸い穴の空いた木箱の上に座り、用を足す。
木箱は空洞になっており、内側に(尿や)大便を貯めるための壺を設置していた。
(尿や)大便の処理、近くの下水溝や川に流す、を奴隷に任せる。
または、邸宅内の汚水総層(~地中)に捨てる。
③小便処理
*尿を利用して羊毛を洗っていたため、尿は利用可能な資源だった。そのため、小便はし尿瓶として作られた土器の中や、使い古されたアンフォラ(陶器)の中に放尿していたらしい。
④肥料として回収の失敗
肥料として人糞を使う場合、長時間おいて堆肥化されている場合には寄生虫は死滅し、残りの栄養素が作物の収量を高めるが、わかっていなかった。
魚のサナダムシがたくさんのローマ人に寄生しまっていたようである。公衆浴場は衛生的に思えるが、サナダムシをもった人と一緒に入浴することで、病気を広げる役目を担ってしまっていた。
⑤下水道
紀元前575年頃、集まった水を川に流す為の露天の大下水溝(掘割式)を完成させ、さらに紀元前33年、下水溝は石造りのアーチで覆われリメイクされました。2500年以上たった今でも立派に排水溝として使われているようである。
なお、世界で最も古い下水道は、今から4000年ほど前に古代インドの都市:モヘンジョ・ダロでレンガで作られたものだとされている。
 
(2)中世ヨーロッパ(~近世にかけての数百年間)
糞尿の垂れ流しが、コレラやぺストといった伝染病の温床となり、パンデミック(感染症の爆発的流行)を生み出していた。
*中世ヨーロッパ(各地)ではひどいことに、窓から排せつ物が投げ捨てられていた。道の端を歩こうものなら、頭上から糞尿が降ってきたようだ。
*街は悪臭に満ち溢れ、パリ、ロンドンの路上には人や動物の糞尿があふれて、生ごみが散乱していた。セーヌ川には、虐殺された牛や豚の内臓や血が途切れることなく流れ込んでいた。
*ペストなどの疫病が猛威を振るうようになり、数千万の命が犠牲になった。
 
①家庭トイレ
トイレというものがなく、住民はおまるを使用して用を足していた。おまるがいっぱいになると、窓から放り投げるのが習慣になっていた。
②宮殿のトイレ
<*栄華を極めたベルサイユ宮殿の実情>
*トイレとした独立した部屋はなく、ルイ14世の頃には、274個の椅子式便器(おまる): ポータブルトイレがあった。
*王侯貴族1000人と召使い4000人が出入りしていたのでおまるは足りず、
中庭で処理していた。
*おまるの糞尿は、中庭や通路、回廊などに捨てられ宮殿中、悪臭漂う状態だったようで、廊下のハズレは汚物でごった返していたと言われている。
③トイレ事情による産物
*ハイヒール、ブーツ:町中に高く積もった汚物を避けるため。男性がはいていた
*香水:宮殿内のひどい匂いをごまかすためとお風呂やシャワーの文化がなかったために、体臭をごまかすため
*フープスカート:舞踏会に参加した女性が、庭の鉢植えに立ち小便をするため
*日傘:道路を歩いていた時に上から降ってくる排せつ物から身を守るため
*シルクハットやマント:同上
(3)近世
*ロンドンではやっと1855年になって下水道工事に着手し、市街地の近くでテームズ川に流していた下水を市街地より下流で流すようにした。
*1914年微生物を用いた下水の近代的処理方法である活性汚泥法の処理場がイギリスにできた。
 
2)日本の糞尿処理とトイレ事情
日本では、ヨーロッパと異なり昔から糞尿処理の清潔なエコシステムがあった。
①  縄文時代~奈良時代(紀元前約14000年~794年)は多くの場合、川で用を足しており、「川屋(かわや)」からトイレを表す「厠(かわや)」という言葉が生まれたとされている。排泄物は川ですべて流れてしまうため、非常にエコな水洗トイレであった。
②  平安時代
貴族たちは「樋殿(ひどの)」「樋筥(ひのはこ)」とよばれる携帯型トイレを使用して、排泄後には紙を使用するようになった。
③  鎌倉時代
人の糞尿を肥料として使用するようになり、汲み取り式トイレが普及する。トイレは住居の一部に組み込まれるようになった。
④  江戸時代
人口100万人以上いた一般の都市部の生活排水や雨水を、堀や川へ排水して海へ流す仕組みが、江戸初期に完成していた
<糞尿の処理:肥料として使用>
*糞尿を集める専門の汲み取り業者がいて、関東各地へ馬・荷車による陸運または肥船で運び出されていた。
*面白いことに、糞尿には等級があって、食生活が豊かな大名屋敷や大店からでる糞尿は高価で取引されていた。
<幕府公認の無料豪華公衆トイレ>
*板で囲った大きな大便受けと小便溜め(たる)が樋でつながっていた、本格的なものだと記されている。便所には間口4.5m、奥行き7.2mの休憩所が設けられていて、腰掛が完備されていました。
*利用者には、管理人によるお茶のサービスがあった。
*江戸の町に10ヶ所ほどあり、その運営費は、年間500両ほどで、溜められた糞尿を売ったお金で賄われていたようである。
*日本人はこのように熱心に排せつ物を集めていたのは、古来より森羅万象に八百万の神が宿ると信じられており、「厠神(トイレの神様)」も重要な神様でむやみに糞尿を投げ捨てることが、罰当たりであると意識があり、清潔に保つ習慣がついていたとも言われてい
る。

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