日本では、お歯黒の奇妙な風習や、歯科医療体制そのものが遅れている印象があります。
30回~32回まで日本人の歯について述べていきます。
現代の日本人は虫歯率が30%を超えると言われています
虫歯菌は、心筋梗塞や脳梗塞などを引き起こす可能性があり、血管に虫歯菌が入り込んで敗血症になる恐れも出てきます。 海外では死亡例も出ており、虫歯菌が首から下に回ってしまった場合、死亡率は約20%と言われています。
第14代将軍家茂は最も虫歯が多かった将軍の一人で20歳で亡くなった時、永久歯32本の中で親しらず1本は完全に脱落し、残り31本中30本が虫歯で虫歯が神経にまで達しているところがありさぞや痛かった推察されています。
虫歯はいつ頃からあったのでしょうか?昔の人は口の中に棲む「虫」が歯を食べて穴が開いてしまうと考えられていました。口中の細菌が作った「酸」が歯を溶かすといったことが解明されたのは19世紀末のことでごく最近のことであります。
第30回では、虫歯がそもそもいつから始まったのか、調べてみました。
第30回 虫歯の歴史
Ⅰ)世界の歴史
- ①虫歯がなかった原始時代
「旧石器時代」(~紀元前14000年頃)には、人類が打製石器を使い始めたが虫歯自体が存在しなかったといわれています。
調理するといえば焼くくらいで、硬いものしか口にしなかった時代です。硬い食べ物は噛む行為を強いるので、分唾液が分泌し、口内の細菌を洗い流すとともに酸を中和する作用が働いていたと想像されます。
- ②虫歯の始まり
*古いものでは約20万年前のネアンデルタール人から「虫歯らしきもの」が発見されていると言われています。
*多くの人が虫歯になり始めたのは、農耕生活を始めた1万年前以降あたりからです。穀物や芋を食べることで細菌がデンプンから酸を作り、虫歯が増えていったのです。
③虫歯の広がり
16世記になると砂糖が大量生産されるようになり、砂糖をたくさん摂取するようになったので虫歯が急速に増加した。
④虫歯治療
*ギリシャの哲学者アリストテレスがアレキサンダー大王のために書いた『健康の書』にも記載がある通り、紀元前から口腔清掃の習慣があったことがわかる。
*歯磨きの歴史について最も古い記録は紀元前1500年頃のエジプトのパピルスにあるものと言われています。
*歯磨きの習慣は、釈迦が始めと言われている。弟子の口臭が強いことから、戒律のひとつとして、口の中をきれいにすることを指導した。
*1883年ミラーはむし歯菌が歯についた食べかすに作用して酸が作られる結果、歯の表面を溶かすという「化学細菌説」を発表しました。
*1891年ブラックが、歯垢がむし歯の原因であることを発見しました。
*20世紀に入ると、口腔外科医および歯科衛生士が多くなり、歯科医学校の教育が盛んとなった。
Ⅱ)日本の歴史
①縄文時代(前14000年~前10世紀)
*縄文前期はむし歯は少なかったようですが、歯の摩耗が多かったようです。
*中期以降は逆にむし歯が増え、歯の摩耗が減少してきました。これは軟かい食物を食べるようになったからです。縄文人のむし歯発生率は8.2%で縄文人が動物の肉だけでなく、クリなどの堅果類やイモなど根茎類といった糖質を含む豊かな食生活を送っていたからだろうと考えられています。
*世界の狩猟採集民の中では7600〜3000年前アメリカ先住民においては0.4〜2.4%、現代のイヌイットでは1.9%と比べダントツの高さといえます。
*なお、歯を抜く習慣があったが宗教的ほかの理由のためであり治療の目的ではありませんでした。
②弥生時代(B.C.800年~A.D.300年)
*弥生人は縄文人以上にむし歯に苦しめられていました。弥生時代では、16.2〜19.7%ほどで縄文時代の倍に増えています。弥生時代の人たちは農耕民族で、炭水化物(糖質)を多く食べるようになって虫歯が増えたと考えられます。
*「お歯黒」の習慣が始まりました。お歯黒をした埴輪が発掘されている。
③飛鳥・奈良時代
*日本における歯磨きの起源は6世紀ごろの仏教伝来とともにあります。仏教が日本に導入された頃には、インドで起こった歯木(しぼく)と呼ばれる木片を咬砕したもので僧侶、公家などの上流階級が身を清める儀式として歯磨きを行なっていました
*目、口、歯は一つの科として医師が行うことになっていた(大宝律令や養老律令の『医疾令』より)。
④平安時代(794年~1185年)
*朝廷においてのみ、歯科治療が行われていました。
*歯痛を抑えるために穿刺を繰り返したり、お灸をすえたり、抜歯も行いました。時に加持祈祷が行われました。民間では、巫女が治療を目的として抜歯を行った記録があります。平安末期には口腔清掃の手段として、うがいが行われました。
<口臭の記述>
『病草紙』には、「口臭の女」というのがあり、「一人の美しい女がいた。女にひかれる男たちは彼女に近づこうとした。しかし、近づくと、とたんに鼻をつまんで逃げ出してしまう。耐えがたい口の臭さなのだ」。この女官は楊枝を使って、口臭を消そうと必死です。
<口腔衛生>
平安貴族の間では、朝食の前に楊枝を使い、口中を清潔に整えることが、作法になっていたようです。実は、日本人は古来から神に祈る前に、口をすすぐ風習があり、それが歯みがきのルーツだという説もある。
⑤鎌倉時代(1185年~1333年)
*朝廷や幕府の中では、口歯咽喉科が歯科治療を行っていました。
*歯の清掃道具として歯木(楊枝)が登場しました。
*この時代の歯科治療は抜歯が重要でした。
*お歯黒が男子にも見られるようになりました。
<道元の教え>
鎌倉時代初期の禅僧、曹洞宗の開祖、その説教を集めた『正法眼蔵』に「洗面」の巻がある。
洗面は、規律と作法にのっとった生活を送る禅宗の僧にとって、修行の一つで、現代の修行でも同じように行われ続けている。
*洗面台で面桶に湯を入れ、棚に置く
*右手に楊枝を持ち、華厳経を唱える
*楊枝の片方を細かくよくかむ
*歯の表面と裏側をみがくようにこする
*歯ぐきと、歯と歯の間も丹念にみがく
*その間、口を何回もすすぐ
*楊枝で舌をよくこする
*血が出たらやめる
*楊枝は目立たないところに捨てる
⑥室町時代(1338年~1493年)
*朝廷では、丹波家が口科専門医として確立していました。歯の清掃道具として歯木(楊枝)が一般的になりましたが、歯磨きという概念はありませんでした。
*お歯黒の風習が男女共に盛んになりました。
⑦戦国時代(1493年~1573年)
*丹波兼康は口科専門医の祖といわれています。
*入れ歯が登場した。1538年(天文7年)に74才で没した仏姫中岡ティの上顎の木製総入れ歯が現存する最古の入れ歯です。
⑧安土桃山時代(1573年~16003年)
*この時代以降、仏像彫刻家が義歯を作るようになり専門とするようになりました。
*男子のお歯黒はすたれて行きましたが女子のお歯黒は後世まで続きました。
*初めて西洋医学が日本に直接入ってきました。
⑨江戸時代(1603年~1867年)
*朝廷では丹波家、幕府では丹波家の流れをくむ金保家が代々口科専門医として活躍しました。
*房楊枝と呼ばれる歯ブラシが使用されるようになりました。
*西洋の歯科技術に比べれば劣っていましたが、義歯と抜歯に関しては優れていました。
*前述の木製総入れ歯が一般化しましたが作ったのは入歯師と呼ばれる人々でした。
⑩明治時代(1868年~1912年)
*海外より外国人歯科医師が渡来し、日本に近代歯科医療が伝わりました。
*国は歯科医療の重要性をあまり認識せず、医療・教育はもっぱら民間で行われていたが、医師が歯科医療を行う事が禁止され、歯科医療が医科から独立しました。
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