古代から性に大らかな日本人、性の恋歌

人生100年時代

第21回では、 日本人の恋愛に関してその2として結婚のしきたりについて述べました。

清純な恋歌の他、日本人の性は昔から大らかで恋心を示すもっと直接的な表現の性の歌も数多く残っています。あまり学校では習いません。

これらに生きる意欲を強く感じます。第22回では、日本人の恋愛 その3として いわゆる性的な恋歌について紹介いたします。

大塚ひかり「本当はエロかった昔の日本」新潮社 2015年、 山城水緒 「王朝人の和歌生活」、「万葉集の“変な歌”セレクション」 小学館  を参考とさせていただきました。

第22回  日本人の恋愛-3     性的な恋歌

1)万葉集   

7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された、現存するわが国最古の歌集です。

全20巻からなり、約4500首の歌が収められています。作者層は天皇から農民まで幅広い階層に及び、詠み込まれた土地も東北から九州に至る日本各地に及びます。

万葉集には、性についてストレートに詠んだ歌が少なくありません。

大胆な歌(③)もあるが、竪穴式住居に住む人々が圧倒的であった当時の庶民にとって、野外での性行為はごく当たり前のものだったと考えられています。

  • ①「今はとて秋はてられし身なれどもきりたち人をえやは忘るる」

『今はこれまでと秋果てられた身だが、秋霧が立って隔てるように、心を隔てるあなたをとても忘れることはできない』という意味。

浮気された夫が、妻に対して未練を歌っている。万葉集以降には、人妻不倫が多いようである。

  • ②「みどり子このためこそ乳母(おも)は 求むといへ乳飲めや君が乳母求むらむ」

『乳母は赤ちゃんのためにいるのだけど、あなたはおっぱい飲みたいの? 私は乳母みたいな年だけど』という意味。

女性が若い男性にお乳を飲みたいとストレートな求愛をされ、それに戸惑いながらも応えている様子。当時はかなり年上の女との恋もあったようである

  • ③足柄の 彼面此面(をてもこても)に刺す罠のかなる間しずみ児ろ吾紐解く

『足柄山のあちこちにかけてある罠が時折静まる間に、恋人と私は着物の紐を解き愛し合う』という意味。

“罠”とは、動物を捕らえるための足柄山のあちこちに仕掛けられた罠。獲物がかかると音が鳴るが、音が鳴り止んでいるわずかな瞬間に息を潜めて山奥で恋人の着物の紐を解く、と詠んでいます。つまり、男女がひそかに野外で愛し合っている情景を詠んだ歌だと解釈できるのです。

2)源氏物語

平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)。下級貴族出身の紫式部は藤原道長の支援の下で物語を書き続け、54帖からなる『源氏物語』が完成した。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた。

源氏物語の特徴は、直接には性的な描写をしていない点にあります。登場人物のほとんどは、はっきりとした身体描写すらもされておらず、限定された情報を通じて読者に女性の体つきから行為そのものまでを想像させるきわどさを生じている。

しかし第三帖の空蝉には、女性の容姿についてはっきりと描写がされている。

①「白き薄衣の単衣襲に淡い藍色の小袿だつものないがしろに着なして、紅の腰ひき結へる際まで胸あらはに、ばうぞくなるもてなしなり。いと白うをかしげにつぶつぶと肥えて、そぞろかなる人の、頭つき額つきものあざやかに、まみ、口つきいと愛敬づき、はなやかなる容貌なり」

『白い薄衣の単衣襲に淡い藍色の小袿のようなものを引きかけて、紅い袴の結び目のところまで着物の襟をはだけさせていたため、胸が丸見えだった。はっきり言うと、かなり行儀は良くない。とても色白であり、ふっくらとした体型で頭の形と顔つきは美しい。目つきや口元には愛嬌があり、派手な顔といえる。』

②「三十日三十夜はわがもとに入れてもたれば思ふことなし」(年の初めの夫婦和合)
⇒『一ヶ月まるまる、全部の夜、夫を私のもとに“入れて”持っていれば悩みはない』

3)和泉式部日記

和泉式部は、中古三十六歌仙の一人、小倉百人一首にもその歌が収められている、平安時代を代表する歌人にふさわしく、日記のなかに和歌の贈答の場面が頻出し、この作品を大きく特徴付けている。長保5年(1003年)4月〜寛弘元年(1004年)1月までの数ヶ月間の出来事をつづる。

恋愛に関する和泉式部のありのままの心情描写が本作品の大きな特色である

この平安時代の不倫マニュアル「和泉式部日記」には、宮廷をびっくり仰天させたそのスキャンダラスなアバンチュールがつぶさに語られている。

  • ①「夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十余日(うづきじふよひ)にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく」

⇒『夢よりも儚いこの世の中(大好きな彼はそばにいないなんて)と嘆きながらなんとか生きているうちに、四月十日過ぎになってしまった。木々が生い茂り、木の下に広がる影が少しずつ暗さを増していく』

  • ②「世の人の言へばにやあらむ、なべての御様にはあらずなまめかし。これも、心づかひせられて、ものなど聞ゆるほどに、月さし出でぬ」

⇒『前から聞いていたからなのか、凄いハンサム! ドキッとして、緊張しながら話をする。そうこうしているうちに月が昇って、光が差し込んできた』

4)枕草子

平安時代中期に中宮定子に仕えた女房、清少納言により執筆されたと伝わる随筆。長保3年(1001年)にはほぼ完成したとされている。

平安時代は妻問婚で夜に行為をした後、朝になったらいったん別れなければならない。後朝とは、性行為を終えた男女が翌朝別れることを意味する

①「暁に帰らむ人は、装束などいみじううるはしう、烏帽子の緒もと、結ひかためずともありなむとこそおぼゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣、狩衣などゆがめたりとも、誰か見知りて笑ひそしりもせむ。人はなほ暁のありさまこそ、をかしうもあるべけれ。わりなくしぶしぶに起き難げなるを、強ひてそそのかし、明け過ぎぬ。あな、見苦しなど言はれて、うち嘆くけしきも、げにあかず物憂くもあらむかしと見ゆ」

『夜更けの頃に帰ってく人は、服装なんかはきちっとキレイにしたり、烏帽子の紐をしっかり結んだりしなくっても大丈夫だと思う。見苦しい姿で、直衣、狩衣なんかが歪んでいたって、誰がそれを見て、笑いものにしたするか?。男の人はやっぱりそういう明け方の振る舞いこそ、いかしていてほしい。なかなか起きられないで仕方なく渋々な様子の男子が、彼女に急き立てられて、夜が明ける、みっともないなんて言われて、嘆いている風の様子を見たら、ホントに満たされなくって、憂鬱な気分になる。』

  • ②「寝おきてあぶる湯は、はらだたしうさへぞおぼゆる」

『せっかく寝ようと思っていたのに、ついつい欲望に負けてしまって事後もう一度起き出して体を清めにいかなくてはならないなんてことになると、そういうときの湯浴みは、(ああ、よしときゃよかったと)自分自身に対してがっかりして腹立たしくさえおぼえる。』

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