高校生のころから、古典の源氏物語等を読んで、日本人の恋愛、性の自由さ・大らかさに驚くとともに、人間の感情としては現在と何も変わってないと思っていました。それと以降も紹介しますが、日本ではある時代を除いて、昔から女性の地位が高く、この傾向は世界では珍しいことです。第20回は、日本人の恋愛に関して、特に女性の地位について述べていきます。
第20回 日本人の恋愛-1 高かった女性の地位
1)女性の地位
①3世紀末
魏志倭人伝には、「倭人の習俗では、国の大人(女王など上位身分)みな四、五人の妻を持ち、下戸(一般人)でも二、三人の妻を持つ場合がある。婦人は貞節で嫉妬しない」とある。
これは、乳児の死亡率が高いので種の継続のためと思われる。また、貞節で嫉妬しないというのは夫人がそれを理解していたという秩序社会が出来ていたと推定される。反対に中国では夫人が嫉妬深く夫人同士で一族郎党を含めた殺戮を繰り返し政権が安定しなかったようである。
②奈良平安時代
地位的には女性の方が高かったと考えられている。子供の養育、娘の結婚、宗教上の地位からすると、日本社会は母系制社会だった。男性は15-16 歳になると結婚相手の女性を探した。相手の女性が賛成すると、生活は女性の家で行う。
源氏物語や枕草子をはじめ女流作家が多数出現したことは、世界でも例がない。女性がいかに尊重されていたかわかる。
③鎌倉室町時代
武士の進出によって、女性が男性の家に入るという結婚形式に変化した。妻が、家を守り、領地を管理し、使用人等もまとめた。家のなかの管理を夫と妻が協力して行うようになっていた。
夫の家に入るようになると、家庭内における女性の力は弱まったものの、親から譲られた財産があったので、夫の家でも大切にされた。女性の社会的進出も見られるようになった。朝廷の貴族の間でも、女性が政治の実権を握る姿が見られるようになった。
④江戸時代
男尊女卑の風も強まり、女子には三従の教えが説かれ、これらの傾向は、武士だけでなく、社会一般にも及んだ。
三従の教え:仏教や儒教道徳でいわれたもの。 家にあっては父に従い、嫁(か)しては夫に従い、夫が死んだあとは子に従うという女性としての心がまえを教えたことば
ただ、江戸時代の女性が、みんな虐げられていたのではなかったようである。
「松坂屋の10 代当主ウタのように、20 代前半で当主となって、江戸進出の原動力となるなど、大いに活躍した女性もいた。1799 年までの大名百家、旗本百家での女性の離婚率は約11%。再婚率も59%である。これはいかに江戸時代、離婚、再婚に抵抗がなかったかを示している。離婚そのものについても、夫の一方的な恣意ではなく、今と同じ協議離婚がほとんどであった。」シャジニナ ハンナ(広島大学学術情報リポジトリ)より
⑤明治時代
当時の日本は男尊女卑が自然で、妾制度が残っていた。女性の地位は低かった。平塚雷鳥ら女性解放運動家が誕生まれ、婦人団体である「新婦人協会」もできる。女性に不利な法律を削除する運動や女性の参政権獲得運動などがさかんに行われた。津田梅子は1900年、女性の高等教育をめざすべく、後の津田塾大学となる女子英学塾を設立した。
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