ドイツ人シュリーマンは日本人の質素・清潔・潔癖さなどを賞賛(江戸末期)

人生100年時代

日本人の素晴らしさの続きです

トロイ遺跡を発見したシュリーマンは、世界を旅行しながら、江戸末期に日本にも立ち寄りました。日本国と日本人の高潔さに驚き、下記の手記を出版しています

シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫)

第17回 トロイ遺跡を発見したシュリーマン

43歳の1865年に世界旅行に出発し、幕末の混乱期の慶応元年(1865年)の一カ月ほど日本に滞在しました。そのあと、横浜からアメリカに向かいました。

成り立ちを紹介すると、1822年に、両親と9人の子供の大家族の中、北ドイツの小さな村で牧師の子として生まれ、その後ビジネスで成功しましたが、41歳でビジネスから引退をしました。43歳の1865年に世界旅行に出発しました。香港、上海、北京を訪れた後に、日本に来ました。当時の日本は、第二次長州征伐の混乱期で、丁度京都に向かう14代将軍徳川家茂の行列に東海道で遭遇しました。家茂の印象は、「二十歳ぐらいに見え堂々とした美しい顔は少し浅黒い」と表現しています。

<日本国の印象>

①日本を訪れる気持ち

私はかねてから、この国を訪れたいという思いに身を焦がしていた。なぜなら、これまで方々の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感激しきった面持ちで日本について語ってくれたからである

②日本人の生活

異文化として良い所を積極的に認めつつ、ヨーロッパ人と余りに違うので驚いている。特に畳の部屋に関してその意義を認めている。

ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、文明がつくりだしたものであることに気がついたとし、畳の部屋で食事も寝室も兼ねている日本の生活を見て、ヨーロッパの寝室を満たしている豪華な家具調度など、ちっとも必要ではない。この美しいござ(畳のこと)を用いることに慣れることができたら、今と同じくらい快適に生活できるだろう

③清国との相違

清国は、町が汚く臭い、堕落し衰微しているのに比べ日本は全く異なり、快適であった。

④江戸の風習

*馬のつなぎ方が、独特である。日本はバック駐車、他の国は前向き駐車。馬には蹄鉄を着けず藁沓を履かせている
*外国人と見ると多くの人がひしめき好奇心あらわに唐人!と叫ぶが、役人たちが危ないといって追い散らすという規律ある風景を述べている

<日本人評>

①日本人の清潔さ

毎日の公衆浴場(男女混浴)に行っているため清潔である。男女混浴は習慣のため恥ずかしいことではないと書いてあります。住居や住民の衣服は本当に清潔である。

②日本人の食事

*日本人の主食はお米であること、食事は正座してテーブルを囲んで、器用にお箸を使って魚と一緒に食べる様子が書かれています。

*タケノコを食べアスパラガスに似ていると感想を述べています。

③賄賂、手仕事

*役人に賄賂を受け取ろうとしないこと

*職人の手仕事の見事さ、器用であること

一旦、今回で日本人の素晴らしさを離れます

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